2018年度付中通信第6号 コミュニケーション能力

2018.6.30  高水高等学校付属中学校長 宮本 剛

人は一人では生きてはゆけない。人は社会を前提に生活を営むことができる。だから人は心を閉ざしたままでは生きてはゆけない。ただ、心を閉ざしがちの人や言葉少なの人を軽んじたり見くびったりしてはいけない。この世にはいろいろな人がいて、私たちには未知なるコミュニケーションの方法を使い、特殊な環境の人々と交流できる人も中にはいるかもしれない。また、民族や習俗や宗教が異なれば、人に説明不可能な理由によってコミュニケーションそのものが禁忌として扱われ、懲罰の対象になることさえある。私たちは、コミュニケーションひとつとってもそのくらい幅のある多様性社会を生きている。

しかし、そういう社会の中で、私たちはコミュニケーション能力の必要性をことあるごとに説いている。いかなる職業に就くにしても、もっとも要求される能力がコミュニケーション能力だと言われている。もちろん、学校教育の中でもこのコミュニケーション能力の育成をとみに意識して、グループ活動を活発化させたり、人前で発表させたり、様々なシーンで会話と交流の機会をたくさんつくり出そうと努力している。

ではいったいどういう状態が或いはどういう人が、コミュニケーション能力が高いと言えるのだろうか。その疑問について考える時、すぐに思い出すのが、5年前に開催されたユネスコ子どもキャンプin岩国での高校生スタッフの大活躍である。全国から集まった110名以上の子どもたちを、同じく全国から集まった60名に及ぶ青年たちが指導する。核となった岩国ユネスコ協会の青年部は、3泊4日の一生忘れられない体験をと、1年がかりでプログラムを準備し、練習を積んだ。そのプログラム進行役に本校の高校2年生が抜擢され、大人もむずかしい大役に挑戦した。

まずは度胸が必要だ。子どもたちを前に手本を示さねばならない。そしてわかりやすく、大きな声で説明ができなければならない。さらにお互いに、或いは他の係りの者たちと上手く情報交換ができなくてはならない。でもいちばん大事なことは、心を閉ざしがちな子どもたちとも一緒にキャンプをつくれる能力だ。

それは、結局、話し方や内容の問題ではなくて、こちらから相手に向かって話しかける力、アプローチの問題だ。畢竟、コミュニケーション能力とは相手から言葉を引き出す能力の謂いだ。

2018年度付中通信第5号 付中入試

2018.6.15 高水高等学校付属中学校長 宮本 剛

付中入試について、今年度の初めから校内委員会を中心に活発な議論を戦わせている。その議論の中で、私たちがいちばん悩むのは、入試改革は結局私たちがどんな学校を作りたいのかという問題提起となってしまうということだ。入試はここで学んでほしい生徒を選ぶ取り組みなのだから、当然ここで私たちはどんな教育がしたいのかという前提がなければならない。

何をいまさらとおっしゃる向きもあるかと思うが、考えてみてほしい。日本という国家においても、3年後には大学入試制度が抜本的に変わるのである。それはなぜかと言えば、今の入試制度では現実社会に対応できないからではないか。今ある社会、さらに言えば未来の社会に対応できる教育を学校が担えるように、大学は本気になって教育内容を吟味し直しているのだ。それは、本校とて自前で議論し、答えを出さねばならない課題なのである。

お手本はすでに文科省が新しい学習指導要領で示している。「主体的・対話的な深い学び」というフレーズが今回のキイワードだが、問題はこのような学びに適した生徒をどう選抜するかということである。12歳の子どもたちのどこをどう試したらよいのか?

不易流行というが、私学にとっての不易は建学の精神や校訓などに示されている。だからたぶん不易について選抜という疑念は必要ない気がする。必要を感じるのは流行の部分だ。「主体的・対話的な深い学び」も国の教育の流行と言っていいだろう。ではわが校の流行は何か。国の方針も内包しつつ、国よりももっと先を見つめ、祈りを込めた教育の方針があり、その内容が考えられねばならない。

 

 

2018年度付中通信第4号 自覚的

2018.5.31  高水高等学校付属中学校長 宮本 剛

近い将来、つまり20年後くらいには、次の2つのことが世界中で起きているだろうと、今、しきりに叫ばれ続けています。                                                                                                                         1、グローバル化の中で多国籍企業が国境や人種・宗教を超えて経済合理性の元で世界中を移動し、拡大していき、共通語は「英語」になっている。                                                                                               2、工業・科学・医学、特にコンピュータサイエンスの爆発的な発達により、人工知能(AI)が人間の仕事 を奪い、今の仕事の約半分がコンピュータにとって代わる。                                                                                                  というようなことで、2030年頃までには今はまだ存在しない職業が数多く生まれ、今の子どもたちが大人になる頃にはその過半数が新たな職業に就くと言われています。                                                                               たった10年前にスマホをどれだけの人々が携帯していか。逆に今、スマホを持たない高校生の割合はどのくらいか。スマホの例ひとつとっても、近年のインターネットとコンピュータサイエンスの進化が爆発的だというのは、一目瞭然です。                                                                                                                    先がわからないというのは何とも心細いものですが、本日「たかちゅう」の生徒たちが決めた月間・週間目標を聞いて、わたしはちょっと明るい気分になりました。どうですか。敬語の使い方について、問題意識をもって、そのスキルアップを目指そうとする中学生たち。しかもそれを月間目標に掲げて、生徒全員で取り組もうと働きかける生徒会。                                 もうひとつ。                                              どうやら、道徳か何かの時間に、スマホについて話し合ったみたいで、班ごとに、その成果をまとめたものが廊下の掲示板に貼り付けてありました。                                       そこで私は思わず、「自覚的」という言葉が頭に浮かんできました。自分と仲間とその現状を認識し、今後どうあるべきかを考え、実行に移すこと。これこそ、協働的なプロセスであり、主体的な取り組みですね。私はそれを未来に対する自覚的な行為と考えています。心細さが飛んで行ったのです。