中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

令和2年度

第67回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」

趣 旨
高等学校生徒に対し、国際連合についての主張を通して、国際理解・国際協力について考える機会を提供すること。

応募テーマ 及び 題目
下記3つのテーマいずれかについて、自分の考えを根拠とともに主張してください。
1.国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案
2.もしわたしが国連事務総長だったら、持続可能な開発目標(SDGs)の達成のためにこうします
3.国際社会の課題解決に、国連を始めとする国際機関が果たす役割
上記のうちいずれか一つとします。副題をつけることも可。主張の内容は、学校、家庭、社会などにおける主張者の学習や体験あるいは実践などを通し、国際連合について述べたものとすること。

各 賞
県代表の中から下記10賞が決定し、賞状・楯等が贈られます。入選者のうち特賞の4名は、来年の春休み期間中、国連について学ぶ研修を行う予定です。
特賞(4篇)
・外務大臣賞 ・文部科学大臣賞 ・法務大臣賞 ・公益財団法人日本国際連合協会会長賞
優秀賞(6篇)
・NHK会長賞 ・公益財団法人安達峰一郎記念財団賞 
・公益社団法人日本ユネスコ協会連盟会長賞 ・全国人権擁護委員連合会会長賞
・日本ユネスコ国内委員会会長賞 ・国連広報センター賞

主 催:外務省・(公財)日本国際連合協会
後 援:法務省・文部科学省・日本ユネスコ国内委員会、他

本年度は、全国から540名の応募があり、予選を通過した県代表26名による作文審査によって各賞受賞者が決定されました。
なお、今年度はコロナウイルス感染拡大防止のため、主張は作文形式にて原稿用紙で提出、作文審査に替えられました。

六年制普通科2年の森脇 優さんは、山口県代表に選抜されて全国大会に進みましたが、残念ながら入賞はできませんでした。

持続可能な開発目標(SDGs)の達成のためにこうします

六年制普通科2年 森脇 優

 私が国連事務総長だったら、「世界の貧困の解決」を優先したい。
 そもそも、国際連合が設立された目的は4つある。その4つとは、国際平和および安全の維持、諸国間の友好関係の助長、各国の経済的・社会的・文化的または人道的問題の解決、人権および基本的自由の尊重の助長において国際協力の達成である。これらは全て、第2次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟の反省を踏まえている。
 国連事務総長は、国際平和と安全維持のために公平な立場でなくてはならない。仮に世界平和を脅かすような事態が起これば、直ちに排除し、解決を図る義務がある。国連事務総長としてSDGs(持続可能な開発目標)達成のためには、国連の加盟国や組織をまとめあげるだけのリーダーシップ性を備えていることが大前提だ。
 昨年、私は全日本高校模擬国連大会に出場した。模擬国連とは、ある一か国の大使になりきって国連の会議さながらに条約や世界の諸問題について議論していく大会である。各国の大使は自国の国益が守られるように慎重に検討しなければならないため、私が参加した議場は混沌としていた。高校生主体の模擬国連ですらカオスな状態になるのだから、本物の国連会議はよりいっそう混沌なものとなることが予想される。このような経験をしたことにより、前述の通りリーダーシップ性が重要であると考える。
 SDGsの中で早急な目標実現が求められる項目は、『貧困をなくそう』だ。
 第1段階として、国連への加盟を問わず全世界の国々からの正確なデータを収集する必要がある。そのためには、全ての国々に対し国連に加盟するよう勧告し、貧困に関するデータ収集に協力してもらい、実態を把握・分析することが重要である。昨年までは「貧困とは単純に経済力がないことだ。」というのが私の考え方だった。しかし、模擬国連の選考課題の中に、貧困問題について述べるものがあった。その際、貧困には絶対的貧困・相対的貧困の2種類があり、日本ではそれほど貧困を感じることはないが、世界的尺度で見ると、先進国の中で子どもの貧困率が最も高いのが日本である。世界的な貧困の捉え方は、物質的豊かさと幸福度という2つの基準を踏まえて考えるということを初めて知った。
 この2つの貧困を分けて考えなければ、貧困解決への道を開くことはできないと私は考えている。
 まずは、絶対的貧困。発展途上国に多く、教育水準が低く、高い乳幼児死亡率が常態化しているので、国際社会として対応すべき課題となっている。これを解決するには、UNICEFやNPOをはじめとする団体の存在が必要不可欠である。貧困問題を取り扱う機関・団体を新たに増設する、インターネット社会だからこそ使えるクラウド・ファンディングのシステムを構築するように経済大国を中心に要請する、または国連のホームページやテレビコマーシャルで寄付を募るなどの対策をとっていきたい。
 次に、相対的貧困。世界的に見ても絶対的貧困より表面化・可視化されにくく、先進国にも存在している。人々が健やかに生活できる持続可能な環境を整えることを目指し、地域全体が貧困から抜け出せるよう手助けをして、知らない人々にも相対的貧困を知ってもらうべく、国際的な貧困ボーダーラインを作り、貧困格差を小さくするムーヴメントを起こしていきたい。
 もちろん、貧困を解決したからといって、世界に完璧な平和が訪れるわけではない。2030年までにあらゆる形態の貧困を全てなくし、全世界の人々が豊かで平和に暮らすことができるよう設定されたSDGsに含まれる17の目標を、世界各国や援助機関の協力のもと、達成する努力をすることが事務総長としての(仮)私の最終的なGOALだ。

第60回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」(日本国際連合協会山口県本部主催)

第60回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」(日本国際連合協会山口県本部主催)で、特賞(山口県知事賞)に3年生の古川 匠さん、優秀賞(山口県ユネスコ連絡協議会長賞)に同じく3年生の岡田凜華さんが選ばれました。

3年生の古川 匠さんの作文は特賞(山口県知事賞)に輝きましたので、県大会の代表作品として全国大会へ出品されます。

世界平和の実現に向けて、私ができること

六年制普通科3年 古川 匠

 世界平和の実現に向けて、私ができることは、一人でも多くの人と会話をすることではないかと考えます。
 それは、ある出来事がきっかけで、そう考えるようになりました。私が小学6年生のとき、ホストファミリーを経験しました。当時姉は中学3年で、その姉と同じ歳のオーストラリア人の女の子が我が家にやってきました。姉と彼女は英語で会話をしていましたが、小学6年の私は英語を話せませんでした。でも彼女が初めて私の家に来た日、私達は不思議な体験をしました。姉が歓迎の気持ちを表そうとショパンのワルツをピアノで弾いたのです。すると彼女は、ジョンレノンのイマジンを弾いてくれました。その後自然と私の番になりモーツァルトのマーチを弾き、しばらく3人で順番にピアノを弾いて過ごしました。歴史上の大作曲家や世界的なヒット曲が、私達3に音楽で会話をさせてくれたように感じました。そして、いつの間にか英語を話せない私も身振り手振りでコミュニケーションがとれるようになっていました。そのとき、言葉が通じなくても意志を伝え合うことができると知りました。とても幸せな気持ちでした。
 以前テレビで、英会話のできないタレントさんが外国で現地の人に道を教えてもらいながら、目的地に行くというのを見たことがあります。その人は、拙い英語力にもかかわらず目的地に着くことができました。辿り着きたいという熱意が伝わったのだと思いました。
 また、こんなこともありました。私の祖父は認知症を患い、わからないことが多かったのですが、姉はいつも根気強く祖父に話しかけていました。祖父を思いながら、選ぶ言葉は優しさがあふれていました。祖父と姉の姿から会話の大切さを考えさせられました。会話で分かり合えるということは、争いごとを遠ざけて、安らかで穏やかに過ごせるということだと感じました。
 ニュースでは、話し合いの場すら持てぬまま、国交断絶に近い状態の国々を報じています。また、一方的な発言に苦しめられていることもあるようです。こんな状態は、平和と呼べるのでしょうか。
 共通言語がなくても、国や文化や歴史が違っていても、視聴覚に障害があっても、年齢が違っても、たとえ意見の相違がある人とでも、私はどんな人とでも会話ができる人になりたいです。言葉が通じなければ、私と留学生がピアノで近づくことができたように、何か共通のものがあるかもしれません。視聴覚障害のある方となら点字や手話があります。文字が書ければ筆談だってできます。そういう意味では、ユニバーサルデザインなども会話のツールかもしれません。もっと世界共通のわかりやすいものが沢山あれば、共通言語を持たない国どうしのコミュニケーションに役立つかもしれないと思います。分かり合える機会が増えれば、争いも減るのではないでしょうか。それは、言葉を覚えたばかりの子供どうしの会話に似ているのかもしれません。幼くても、しゃべれなくても会話は成立しているのではないでしょうか。母親と赤ちゃんの会話も言葉がなくても通じ合っています。それは、なぜなのでしょうか。相手を認め、自分を認めてもらって、心を伝えあっているからではないかと思います。互いに認め合えるというのは平和につながると思います。
 小学生のときには話せなかった英語も学び、今では英会話も少しできるようになりました。もしかしたら、今、無駄だと思っている何かも、いつか出会う誰かとの会話に必要で大切なものかもしれません。私はピアノや書道も習っていますが、ピアノを習っていなければ、小学六年のとき留学生とコミュニケーションをとれていなかったかもしれません。もっと沢山のことを学び視野を広げ、一人でも多くの人と会話をすることこそが、世界平和の実現に向けて、私ができることです。

世界平和の実現に向けて、私ができること

六年制普通科3年 岡田 凛華

 「平和」とは、何だろうか。私が思う「平和」は、たくさんある。戦争がないということ、差別がなく平等であるということ、住む場所、食べ物、着るもの、即ち衣食住があるということ、学校に行けるということ、家族がいるということ…。
 世界は今、平和だろうか。現在、新型コロナウイルスが世界中で流行している。私は、「病気がないこと」というのも「平和」の一つだと思う。新型コロナウイルス以外にも、世界にはまだ消えていない病気があるらしい。世の中にはそれらの病気で今も尚苦しんでいる人がたくさんいるだろう。
 私は最近、学校の授業の一環で、アフリカの貧困について調べた。さらに、貧困が原因で起こる教育問題と医療問題についても調べた。教育を受けられない子どもたちは世界中にたくさんいる。その半数以上がアフリカで暮らしているそうだ。学校の数自体が少ないことや、子どもは家計を支えるために働いていて学校に行く時間がないこと、学費や材料費が払えないことが原因になっている。子どもが教育を受けたいと思っていても受けられず、識字率が下がり、定職に就くのも難しい。教育を受けられなかった子どもたちが大人になったとき、教育の重要性を伝えられない。これが負のスパイラルである。教育制度を確立し、教育設備を整えて、社会で働くことのできる人材を育てる仕組みが必要である。
 一方、アフリカの医療において最も重要な問題は医師・医療従事者の不足だそうだ。そのため医師数の増加と医療技術・制度の進歩が求められている。また、病気は必要最低限の設備を持たない貧困層の地域で特に広まりやすい。マラリアは蚊帳や虫除け剤などのシンプルな物で簡単に防げるが、アフリカの貧困地域ではそのような物資でさえ不足している。そのため病気が防げず、多くの人が苦しみ、亡くなってしまう。 
 私は将来、医療関係の仕事に就きたいと思っている。そしていつかは、海外でボランティアをしたり、青年海外協力隊などの医療グループに入ったりして、アフリカなどで病気で困っている人を助けたい。
 そのために私が今頑張っていることは、英語の勉強である。日頃から外国の方と積極的に話したり、英語で日記を書いたりして英語の勉強をしている。また、私は中学一年生のとき、探究学習で宮島へ行き、外国の方々にインタビューをした。当時中学三年生の先輩とインタビューをしてまわったが、先輩に頼りっきりで私は全然上手く話せなかった。それ以来、無力だった自分が情けなくなり、もっと英語の勉強を頑張ろうと思った。
 それから、いつかは留学をしてみたいとも考えている。留学をして、英語を学ぶだけでなく、もっと海外の情勢に目を向けたり、その国の文化について学んだり、コミュニケーション力を向上させたりしたいと思っている。
 世界平和のため、貧困をなくすため、病気をなくすために、私が「今」できることは、現状を知り、理解し、それを広めることだ。また、少ない額なら中学生の私でも寄付ができる。少ない金額でも、救われる人がいるのなら、寄付をしようと思う。それから、ペットボトルキャップもワクチンになる。私たちにできることはたくさんあるはずだ。
 私たちにとっての当たり前が、当たり前ではない国や地域があることを念頭に置き、今、私たちが当たり前に過ごせている生活一つ一つに感謝して過ごそうと思う。困っている人がいることを理解し、自分にできることを考え、実際に行動に移していきたい。

第27回「高校生によるSDGsに関する感想文コンテスト」(主催:日本国際連合協会山口県本部)

第27回「高校生によるSDGsに関する感想文コンテスト」(主催:日本国際連合協会山口県本部)で、六年制普通科2年生の松本 彪(まつもとたける)さんが優秀賞(山口県ユネスコ連絡協議会長賞)に選ばれました。
昨年、松本さんは特賞(日本国際連合協会山口県本部長賞)に選ばれており、なんと2年続けて上位賞の栄冠を手にしました。

【題目等】
題目は自由。持続可能な開発目標(SDGs)のうち、いずれか一つを選択し、選択した開発目標について、学校、家庭、社会などにおける執筆者の学習や体験あるいは実践などについて、述べたものとします。

持続可能な開発目標(SDGs)とは
「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のため、2030年を年限とする次の17の国際目標のことです。
①貧困をなくそう
②飢餓をゼロに
③すべての人に健康と福祉を
④質の高い教育をみんなに
⑤ジェンダー平等を実現しよう
⑥安全な水とトイレを世界中に
⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに
⑧働きがいも経済成長も
⑨産業と技術革新の基盤をつくろう
⑩人や国の不平等をなくそう
⑪住み続けられるまちづくりを
⑫つくる責任つかう責任
⑬気候変動に具体的な対策を
⑭海の豊かさを守ろう
⑮陸の豊かさも守ろう
⑯平和と公正をすべての人に
⑰パートナーシップで目標を達成しよう

医療問題にどう向き合うか

六年制普通科2年 松本 彪

 人間にとって、健康ほど幸せなものはない。自分自身が健康であること、大切な人が健康であること。一見当たり前のように思えて、当たり前ではない。その人々の健康を支えているのが、「医療」である。現在、その医療が世界中で平等に行われていない。この問題にどう向き合うか。
 ここでは、医療格差という問題を扱う。私は2つの観点からこの問題を考える。医療従事者の数、そして医療の在り方という点だ。それぞれの観点から目標達成へと近づく方法を挙げる。
 医療格差とは、医療サービスを受ける際に生じる諸々の格差のことである。例として、医療機関が都市部に集中することで生じる地域間の格差や、高度なサービスが高額で提供されることで生じる所得階層間の格差などがある。ここから窺えるように、世界には約77億人がいて住んでいる地域や所有している財産は様々である。そのなかで、医療を平等に行えるようにするのは極めて難解な課題なのだ。
 世界の中で医療格差が大きい地域が発展途上国である。発展途上国では、経済成長を重視しているため、工場から排出される廃棄物やガスによって環境が汚染されている地域が多い。そのせいで、その地域周辺に住んでいる人々は病気になり、治療を受けるために医療機関のある都市部にいかなければならない。しかし、都市部までいく交通機関が整備されていないのでお手上げ状態。運良く医療機関にたどり着けたとしても高額な治療費を支払えないので、結局病気を治せない。そうして、時間とともに病状は悪化する。このようなサイクルが繰り返され、彼らは医療を受けることができず、なす術がないのだ。加えて、そのような地域では医療人材、医療機器、医薬品、医学の情報が不足しているため、医療サービスの質も高くない。
 先進国でも同じく、医療格差がある。アメリカでは、国民皆保険制度がないため、収入の少ない世帯は医療サービスを受けることができない。日本では、都市部と地方の間で医療格差がある。その大きな要因が、地方の医師不足だ。日本の医師の多くは、都市部に集中している。さらに、地方の県内格差も注目されている。県庁所在地周辺地域では医師は足りているが、そこから離れるにつれて医師の数が足りなくなるという現状だ。
 そうした医療格差をゼロにすることは不可能に近いが、格差をゼロにするのが目的ではない。格差を小さくしていくことが重要なのだ。
 医療従事者の不足を改善するアプローチを考える。日本では現在、医療従事者が不足していると知り、私は日本の医療関係従事者数の資料(厚生労働省より)を見た。すると、驚くことに1955年以降、資料にあるすべての項目で増加し続けていたのだ。では、何故不足しているのか。それは、病床数の多さが理由だそうだ。医療従事者は増加しているが、それを上回るほど患者が多いのだ。
 そこで、医療の在り方を見つめなおす。医療従事者が足りないというのであれば、現代の科学技術を応用し、今までの医療形態を変化させればよい。つまり、医療従事者を助ける「テクノロジー」を導入し、患者になる「リスク」を低下させるという考えだ。
 近年のテクノロジーの進化は著しい。そのテクノロジーを医療現場で活用するというのも有力な手段だ。AIを補助ツールとして使用することで、経験が少ない医師も患者とのコミュニケーションをより親密にでき、総合的に正確な判断がしやすくなる。複数人の医師が必要な仕事もAIの力を借りることで、より少ない人数でできるようになる。また、ドローン技術なども遠隔治療を可能にする。
 一方、違う見方をすると患者の数自体を減らせばよい。病院といえば、患者が生活の中で体に何らかの異変を感じて訪れる場所だ。このような病院のシステムも残しつつ、予防医療を重視するシステムを導入するべきだ。そうすると、不必要な入院や診察が抑えられ、結果的に患者の数を減らすことができる。
 日本では前述したような方法で医療格差を小さくできる。しかし、そのような方法をとることが難しい発展途上国では、やはり先進国による支援が必要である。グローバル化が進み、各国間の医療ボランティアなどを通して援助できるようになった。さらに、クラウドファンディングといった新しい支援方法も現れた。そのような支援が積み重なれば、大きな力となり、確実に目標達成に近づく。
 冒頭でも述べたように、人間にとって最も大切なものは「かけがえのない命」である。その命を医療で守ることができるのならば、医療問題から目を背けてはならないし、変化する時代に応じて医療の在り方を変えなければならない。そうして、地球上に存在する命をひとりひとりの小さな力で守っていきたい。