中高一貫(六年制普通科)

研究成果発表

平成23年度

第51回「国際理解・国際協力のための中学生作文コンテスト」山口県大会

佳作

もしも私が国連職員なら付属中3年 好中 奈々子

 私はこの夏、奈良県で行われたユネスコ子どもキャンプに参加した。
参加者は小学生が多く、最初はなかなか自分の班になじむことができなかった。話し相手のいない寂しさから、私は別の班で行動するという自分勝手な行動をとっていた。その時、注意をされても当然なのにスタッフの人は「もう慣れた?」と逆に私を気遣って下さった。周りの気持ちも考えずに自分勝手な行動をとった自分を本当に恥ずかしいと思った。
 一日目は何度も「早く帰りたい。」と思ったキャンプだったが、最終日はみんなとの別れが辛く涙が出た。四日間のキャンプ生活が私の心を大きく変えていたのだ。スタンツの練習が上手くいかない時には、年下の小学生を相手にして本気で自分の思いを伝えたこともあった。キャンプで学んだのは、仲間を認め受け入れる心や表面だけでなく心から人に向き合う勇気、そして共に助け合うことなど、人と関わって生きていくことの大切さだった。
だから、もしも私が国連職員なら、世界中の子ども達を集めて『ユネスコ子ども地球キャンプ』を開催したいと思う。
 国連の様々な活動を思う時、私はキャンプのスタッフの果たす役割に似ているように思う。顔も年齢も出身地も違うバラバラな私達を、スタッフは見守り結びつけてくれた。それと同じように世界にはたくさんの人間がいて国も民族も言葉も様々だ。宗教や習慣、文化、価値観、そのあらゆる違いを受け入れ認め合うために、人と人、国と国を結びつけているのが国連の活動ではないだろうか。そして、戦争や貧困、飢えや病気、差別や環境問題などの人類の問題を共に解決するために、人と人、国と国を結びつけている。
地球キャンプでは、私が奈良キャンプで学んだように、人が共に生きていくことの大切さを知り、仲間を認め受け入れる心を育んでほしい。そして世界中の子ども達に本当の笑顔や生きる尊さを感じてほしいと思う。
けれど現実には、戦争や病気で生きることだけで精一杯で、キャンプどころではない子ども達の方が世界には多いのだ。貧困、教育、健康など、どれをとっても大変な問題で、解決には多くのお金や時間がかかることだろう。
 だからこそ私が提案したいのは、「人」を育てる地球キャンプなのだ。人類のあらゆる問題を作りだしたのは私達「人」だ。その問題を解決していくのは、やはり私達「人」でしかない。世界各地でこのキャンプを行い、「問題を解決するのは、人と人、国と国が協力し合う関係を築くことが大切だ」と、自分の肌で感じる体験を多くの子ども達が共有すれば、地球の未来は少しずつだが確実に変わっていくにちがいない。
世界各地の地球キャンプで育った子ども達は、地域を育て、国を育て、平和を生み出していく。また、国連の活動を担うスタッフや国連ファミリ―となって、世界中で活動に取り組むことだろう。
現在私達の学校ではユネスコの活動として、平和について学習したり、異文化交流をしたりしている。また、感染症予防のワクチンを買うための募金活動や廃品回収も行っている。今私達ができることはこのような小さな活動だが、一つ一つの小さな積み重ねが、世界を理解することにつながり、地球にあるたくさんの命を守ることになると信じている。
 来年は私の住む山口県でユネスコ子どもキャンプが行われることになった。今度は私もスタッフとして参加する予定だ。人と人とを結ぶ国連キッズとして活躍するつもりだ。
この青い空はどこまで続いているのだろう。私はこの空に続く広い世界をまだ知らない。だからこそ、まだ見ぬ世界とつながっていくために、私は今身近にいる人と仲良くし、互いに協力し合う人間関係を作っていくことを、どこまでも続くこの青空に誓う。
 私達はこの地球に一つテントを張るキャンパーなのだから。

第2回『共に生きる社会』めざして 高校生作文コンテスト

誰かのために、私が出来ること。六年制普通科1年 内本千恵

 誰かのために、私が出来ること。このテーマは、私がただ自己満足でやれることでは成り立ちません。私がしたことで、私がいたことで、何か少しでも相手に良い変化が表れて、初めて成り立つのだと思います。そのことを頭においたうえで、もっと深く考えていこうと思います。
 私はごく普通で平凡な人間です。好きなこと、嫌いなこと。得意なこと、苦手なこと。向いていること、向いていないこと。たくさんあります。私がいくら役に立ちたいと思っても、やれることには限りがあるのです。それを理解しないまま、やみくもに相手に働きかけたとしたら、反って相手に迷惑をかけてしまったり、自分自身にもストレスが溜まったり、結局、本当に相手のためだったのかどうかさえ分からなくなってしまうと思います。
だから「私」に合った、「私」にしかできないことを探すために、自分の性格をきちんと理解することから始めようと思います。
 私は、つくづく単純な人間です。普段はくだらないことで笑って、大騒ぎして、自由気ままに生活していて、その上、面倒くさがりだし、やる気出るまでが長いし、諦めるのが早いし。覇気がないとよく言われるほどのダラダラ人間です。でも、人に褒められたり、必要とされていると感じたりすると、まるで人が変わったように自分でも不思議なほど頑張れるのです。
 もっともっと笑顔が見たい。「ありがとう」という言葉が少しでも聞きたい。そのためなら私は何も苦に感じないのだ。偽善者と思う人もいるかもしれません。なぜって私がこれまで、良いことをしている人、人から感謝されている人をそう思って見ていたからです。そう、良い人って思われたいんでしょって。
でも今考えると、それはただのひがみだった。私のできないことをできる人がねたましかった。できないのではなく、しなかっただけなのに。そのことに気づけずに私はムズムズしていました。最近、ふと自分の生きている価値や意味って何なのだろう、と考えることがあります。友達や家族とバカ騒ぎして、笑って、泣いて、とても楽しい日々を送っています。それでも考える。どこか満たされない気持ちがあったのかもしれない。
そんなとき、私にある転機が訪れました。
私は学校の先生に誘われ、奈良で行われる「ユネスコ子どもキャンプ」に参加することになりました。それもキャンパーではなくスタッフとして。初めての体験でした。子どもが大好きな私は、先生に選んでもらったという嬉しさをバネにやる気を出していました。
 しかし、スタッフの大人の方から参加者の小中学生まで幅広い年齢層の、しかも初対面の人とふれあうというのは、予想していたよりはるかに難しいことでした。それでも泣き言は言えない。スタッフは子どもたちを支える側にいなくてはいけないのだから。最初は緊張して身体がガチガチになっていました。
でもそんなプレッシャーの先で私は、たくさんの笑顔に触れることができました。私がちょっとものを取ってあげただけで、相談を聞いただけで「ありがとう」や笑顔が溢れ出す。すごく新鮮でした。私の日常にももちろんあることだろうけど、とても新鮮な気持ちになれたのです。こんな素敵なところに私は存在してるんだ。そう思ったのです。
 私の日常はこんな素敵なところで営まれる!これは十六歳の、そして私の生まれて初めての発見でした。私は、人のために生きることで初めて私の生きている意味が生まれるのではないかと思いました。それは決して優越感に浸りたいという思いからではない。第一私はそんな優れた人間なんかじゃない。喜びや感謝や愛が、私のいるところから溢れたら私自身がすごく幸せなのです。
私が誰かのためにできることは、物資の支援や治療ではない。人として人と共感すること。笑顔で「ありがとう」と言うこと。

「誰かのために、私が出来ること。」 六年制普通科1年 内本千恵

第58回「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」

(財)安達峰一郎記念財団賞

世界の平和と安定のために国連がすべきこと―パレスチナ、子どもたちのメッセージ―六年制普通科2年 浦崎笑子

世界中で毎日、人が亡くなり、そして生まれます。命は平等なのか。自分を産んでくれた親まで殺せと命令される子ども兵。どんな気持ちなのでしょう。大人は、純粋な子どもをだまして何がしたいのでしょう。
私は、7月に「国際社会における日本の役割」についてのフォーラムに参加しました。そこで、ある講師の先生のお話を聞くことが出来ました。先生はパレスチナへ実際に足を運び、現地の状況や感じたことを、自ら撮影した写真を見せながら話して下さいました。
大きなスクリーンに映し出されたたくさんの写真に、私は涙が止まりませんでした。戦車の攻撃で破壊された家。崩れた家の中でわが子のために粉ミルクを探す母親。白い包帯を丁寧に巻かれた数えきれないほどの遺体・・・。すべてが、私の身の回りでは想像も出来ないくらい残虐なことばかりです。けれど、それが毎日のように繰り返されるパレスチナの現実なのです。
しかし、写真の中の子供の笑顔は、その現実を感じさせない位素敵なものでした。配られたジュースを片手に満面に笑みを浮かべる子供達。これらの写真が私に改めて平和の意味を考えさせてくれました。
「すべての子どもたちが十分に食べられないうちは、世界は平和を知ることは決してない。」デイビット・ワーナ―のこの言葉は私の心に深く残っています。
紛争地域だけでなく貧しい国の中には、飢餓に苦しむ子どもや、怪我をしたり病気になったりしても満足に治療も受けられず、亡くなる子供がたくさんいます。
世界のどこかで、3秒にひとりの子供が亡くなっていると言われています。同じ地球で同時代に生きている高校生の私達に、一体今、何が出来るのでしょう。
私が所属するユネスコ部では、ペットボトルキャップを集めています。学校で生徒に呼びかけ、集まったキャップをワクチンの代金に換えようという活動ですが、毎年何十キロもキャップが集まっています。
しかし、キャップを1キロ集めたところで、ワクチン1本にもならないのです。たくさんの人々の善意を集めても、この方法ではたった一人の子どもの命さえ救うことは難しい。しかし、とまた考えます。この救いたいという思いが私たちの誇りではないのかと。逆にこの思いがなかったら、この世は寂しすぎると。
ところが、同世代の人達の中には、紛争地域の状況をまったく知らない人も多いのです。情報化時代の今、知ろうとすればすぐに調べることが出来ますが、興味がないことには手が出ません。だから、勝手に思い込んで偏見を持ってしまう人がいっぱいいます。
パレスチナでは、「人として当たり前に生きたい。」「平和に生きたいだけなのに・・・。」という声がよく聞かれるそうです。だから、その願いを私たちが共有することが、平和への第一歩だと考えます。
国連が発足した日の今日、この記念すべき日に国連にお願いがあります。
私たち高校生を対象に、紛争地域や貧しい国の人々の状況や思いを伝えるため、衛星通信などで現地の人と直接会話できる機会を作ってください。
私は、パレスチナの話を聞いて、現地の人達が本当に望んでいるのは「援助物資」よりもむしろ、「普通に暮らせるようになること」「世界中の人に理解してもらえること」だと気づきました。このようなことは、直接現地の声を聞いてみないと分からないことです。
現在国連は高校生対象に様々な活動を行っています。加えて、この会話の機会を世界に広げてもらえれば、紛争や貧困、様々な国際問題について興味を持つ高校生、真剣に取り組む高校生が、もっと増えてくると思います。
共に未来を担う人間として、世界中の子ども達が心の底から笑えるような未来を作り上げたい。平和は私たちが作り出すもの。ですが、その私たちを結びつける役割を、国連が担ってほしいのです。

世界の平和と安定のために国連がすべきこと―パレスチナ、子どもたちのメッセージ―」六年制普通科2年 浦崎笑子

ユネスコ・ユースセミナー2010 感想文

人との繋がり六年制普通科1年 辛島 直哉

 ユースセミナーに参加して一番感じたことは、人との繋がりです。
  まず3日間全てを利用して、他のユネスコ団体や参加者の方々と仲良くなれた、というのが、今回私にとって最高の収穫です。
 その3日間の中で印象に残ったものを幾つか紹介したいと思います。
 初日の夜、入浴後に交流会がありました。あらかじめ各地の特産品などを持参するようになっていましたが、持ち寄ったお菓子などを一緒に食べながら話し合ったりしました。私は元々人見知りするたちで、楽しかったのですが緊張が続きました。
 2日目、朝から挨拶の声をかけてくる人々ばかりで、かなり嬉しかったです。分科会は戦争を選びました。シュミレーションをしながら、我々に何が出来るのかを考えました。分科会で学んだことを発表する時、とても緊張していた私ですが、「こういうことも経験だ」と言って下さったので、あまりあがらずに説明出来ました。この日も夜に交流会があったのですが、全く人見知りせずに多くの人と話すことが出来ました。
 そして最終日。初日からの様々な仕掛けがこの時に一気に花開き、とても感動をしました。 閉会式を終えて帰途につきましたが、この3日間の体験で私は大きなものを得た気がします。また、小さくはありますが前進をすることが出来たような気もします。このような機会がありましたら、また参加したいと思います。

第17回「高校生による国際交流体験感想文コンテスト」

佳作

自分に課せられたもの六年制普通科2年 村上 愛

 私は捕鯨問題に興味がある。初めてこの問題に触れたのは、高二の現代社会の授業時間だった。教科書の欄外に「文化的多様性を維持しようとする考え方と、生物多様性の観点から環境保護を主張する見方の衝突」と小さく書いてあった。私は思わず「説明はこれだけか!」と驚くと同時に「もっと知りたい」欲求に突き動かされた。それから間もなく、偶然にも捕鯨問題のドキュメンタリー番組をテレビで視聴することになった。初めて知った現実に涙がでた。
         それは文化や考え方の違いから生まれる人と人との隔たりを見た瞬間だった。交りあうことのできない人間同士の憎しみの応酬であった。
 今年七月、市のプログラムに参加してアメリカで十六日間ホームステイをしてきた。出発前、「アメリカ人の捕鯨についての考えを知ること」と「アメリカの文化を存分に体験すること」を目標に掲げ、日本を旅立った。 アメリカに到着するやいなやホストファミリーの人が猛烈なハグで出迎えてくれた。
 「これがアメリカだ」とわくわくした。それから毎日、ホストファミリーはもちろん、その友達や近所の人と過ごし、コミュニケーションの醍醐味を味わいながら、たくさんの経験と学びを得ることができた。本当に充実した日々だった。と同時に私自身も、日本文化や日本人の考え方についてでき得る限りの発信ができたと思う。
 例えば、ホストファミリーと一緒に外食した時だった。家族はみんなたくさんの料理を注文していた。「アメリカ人はこんなに食べるの」と感心していた私は、あとになって驚かされた。始めのうちは順調に食べこなしていたのだが、さすがに終盤ともなると、パタリと手が止まり、会話を楽しむのみとなった。最後は多くの料理が皿に残っていた。
 「余った料理はどうするの?」と聞くと「このままよ。たいていのアメリカ人はこうよ。」とあっけない返答だった。でもそれは日本人の私には受け入れがたいことだった。そこで「大抵の日本人はそんなに料理を注文しないし、仮に余ったとしたら、出来る限り容器に入れて持って帰るんだよ」と伝えた。すると、「そうだね。容器をもらって詰めて帰ろう。」と言ってくれた。
 それからも何度か外食したが、いつも余った料理は持ち帰ることになった。自分の想いが伝わっただけでなく、それが正当なものと評価されたようで本当に嬉しかった。資源大国のアメリカ人は資源を大切にしない傾向があると聞いていたが、それは誤解だと今の私は主張できる。
 ところが、捕鯨の課題の方は、結局大した成果もなく、進展もせず終わってしまった。
 日本では第二次世界大戦以前から長く鯨漁は行われていて、唄や絵巻物と共に歴史を刻み続けてきた。なかでも戦時下の日本人にとって鯨は、比較的容易に大量に手に入れられるタンパク源として、また鯨油やヒゲは生活資材として欠かせないものだった。そんな日本の鯨漁文化は今も受け継がれていて、多くの人々の生活の支えとなってきた。
 現在、世界中から注目を浴びているのが日本の調査捕鯨だ。鯨が海洋に与える影響や生態系構造の解明などを目的に行われている。しかしそれには多くの年月と鯨の捕獲が必要となる。解体調査後、鯨は法に則り食用として売りに出される。
 そんな日本に対し、オーストラリアの世論は捕鯨絶対反対に傾いてきた。鯨はランクの高い海の生き物と捉えられ、神秘的な動物であり、過去の乱獲の反省から環境保護の想いが非常に強い。一方、アメリカはかつての捕鯨大国であるが、今は捕鯨反対国に転じながら一部民族の生活捕鯨を認めている。
 捕鯨に関して言いたい事は山ほどあった。しかし、語学力の乏しさからうまく伝えることができないばかりか、誤解を招くのではないかという恐れから、私は二の足を踏んでしまっていた。あのホストファミリーとならもっともっと理解を深められたに違いない。それがわかっていただけに悔しくてたまらない。
 「鯨に対して法律が必要ならば、他の動物にも法律を適用すべきだ」と「絶滅しそうならば発展したテクノロジーで鯨を増やせばよい」というのが、私がこの家族から聞き出せた意見のすべてだった。
 バースデイパーティーで引っ込み思案な私を温かく迎え入れ、コミュニケーションの大切さを自然体で教えてくださったホストファミリーは、私のアメリカとなった。そこでは自分の未熟な部分にもきちんと向き合うことができた。私はもっともっと勉強し、自分を向上させたいと思う。この世界の中で私にできることは何か、素直な心で考えたい。

サマーセミナー感想文

あたりまえではないということ2年1組 森脇奈々

 私はこのサマーセミナーで、たくさんのことを学びました。嫌なこともあったけど、楽しいこともありました。普段はあまり喋ることのなかった友達とも近づく機会が多く、とてもいい思い出ができたと思います。
 2日目のTAP(徳地アドベンチャー教育プログラム)では、女子の2人がリーダーシップを発揮し、クラスを引っぱっていました。話し合う時にも進んで意見を述べ、スムーズに時間が過ぎました。また、男子の数名が見事なフォローを見せて、クラスを湧かせました。普段はそういう所を見せない人が多かったため、「意外な一面がある」と今でも強く印象に残っています。しかし、それは午前中のTAP。午後からの屋外のTAPでは、一人ひとりが協力し、支え合い、たくさんの時間を費やしてクリアしました。暑くて痛くて苦しい中、押し潰されそうになりながらも、互いに掴まりました。もはや男女関係なく、一つになって頑張りました。クリアした時のあの感動は、きっとずっと忘れません。
 そして最後に、私がこのサマーセミナーで一番楽しかったと思うのは、夜の就寝時間です。ふとんに潜り込みながら、こそこそと友達と喋るのです。自分でも、何をどこまで話したのか忘れてしまうほど、たくさんのことを喋りました。他の誰かがいきなり立ち上がったことに驚いて、友達と一斉に頭をふとんに突っ込んだり。その後おずおずと皆がふとんから顔を覗かせたり。そんなささいな一つひとつの出来事がすごく楽しくて、嬉しくて、何とも言えない温かい気持ちになりました。本当に、すごく楽しい夜でした。
 私はこのサマーセミナーで、「仲間」の大切さを再確認しました。信じられる大切な仲間が傍にいてくれるというのは、本当に幸せなことだと思います。あたりまえでは、決してありません。そして私は、この仲間をずっと大切にしていきたいです。ずっと傍にいたいです。サマーセミナーを通して、私はすごく大切なことを学べたと思います。

「あたりまえではないということ」2年1組 森脇奈々

キラキラキャンプファイヤー2年2組 那須浩子

 私にとって、キャンプファイヤーがサマーセミナーで一番印象に残りました。その中でも2つ、とても印象に残ったことがあります。
 1つ目は、女神という重大な仕事を任されたことです。火の神の横で火のついたトーチを持って、薪を組んだやぐらに火をつける仕事です。初めは、「そんな大きな仕事を私ができるかな?」と、不安と緊張でいっぱいでした。点火する時も手が震えて、なかなかつきませんでした。だけど火がついた時とてもきれいで、思わず声が出そうになりました。この時、「女神をやって良かったなぁ」と思いました。この役を任された時、みんなから「頑張って!!」と声をかけられました。それでも私は嫌で、「めんどくさいなぁ」と思っていました。だけど、やってみると緊張もしたし恥ずかしかったけど、キャンプファイヤーがとてもキラキラして見えて、私にこの仕事を任せて下さった先生に感謝しています。終わった後も先生が、「よく頑張った」とほめて下さいました。私はとても貴重な経験ができて、良かったです。
 2つ目はダンスです。私はレク係というスタンツの係になりました。最初はみんなをまとめるのが大変で、何も決まらず日にちばかりが過ぎていきました。最終的に決まったのはダンスで、EXILEのChooChooTRAINを踊ることになりました。夏休みに入ってからも、ほぼ毎日みんなで集まりました。家が遠い人もよく来てくれました。男子も少しずつだけど、頑張って覚えてくれて嬉しかったです。練習でみんなが揃うことは少なかったけど、みんな一生懸命協力してくれて「レク係をやって良かったなぁ」と思いました。
 「2の2、4班ファイトーオォー!!」キャンプファイヤーで、いよいよ私たちの番がきた。踊っている時、色々な人が応援してくれて嬉しかったです。踊りの途中、その日が誕生日の友達がいたので、私たちの班に入ってもらいました。終わった後「ありがとう」と喜んでくれたので良かったです。
 本当に楽しい1日でした。キャンプファイヤーは、ずっとキラキラしていました。

「キラキラキャンプファイヤー」 2年2組 那須浩子

強くなるためのサマーセミナー2年3組 石山惠然

 僕が、今回のサマーセミナーで一番印象に残っていることは、TAPです。  何故かというと、TAPを通じて「皆で協力すること」と「支え合う大切さ」を学んだからです。
 TAPでは、まず最初に全員で2つのフラフープを通していくというプログラムに取り組みました。最初は、良いタイムが出ませんでしたが、回数を増やしていくうちに、段々タイムが良くなりました。それは、皆で協力したからできたと思います。失敗するたびに皆で考えを出し合い、少しでもタイムを縮めようとしました。僕は「協力することって素晴らしい」と思いました。最終目標のタイムには3秒届かなかったので悔しかったですが、失敗しても誰も「お前のせい」などと言わなかったので、とても気持ちよかったです。
 次に、小さい板にクラス全員が乗るというプログラムを行いました。最初は、「こんな小さい板に、18人全員が乗れるのだろうか」と思いました。順番を決めて乗り始めましたが、人数が増えていくうちにバランスが保てなくなり、崩れそうになりました。この時学んだことは「支え合う大切さ」です。誰かが崩れそうになったら、その人を他の人が支え合うことでバランスを保っていました。僕は板の一番端のところで立っていたのでかなりきつかったのですが、隣の人が僕を支えてくれていました。そのようなことが他の場所で起きていると思うと「1人の力は小さいが、支え合うことでその力がやがて大きな力になる」と思い感動しました。そして、10秒間板の上で18人全員が乗りきることができました。
 僕は、皆で協力し合い支え合えば、どんなに難しい課題でもクリアできることを今回のサマーセミナーで学びました。今回学んだことをこれからの学校生活にいかしていくと同時に、自分が夢を持った時に今回学んだことを自信として、精一杯努力していきたいです
。  以上、たくさんのことを学ぶことができたTAPが一番の思い出です。

「強くなるためのサマーセミナー」 2年3組 石山惠然