2019年度付中通信第2号 学園発祥

2019.4.23  高水高等学校付属中学校長 宮本 剛

4月16日に新入生とスプリングセミナーに行ってきました。このセミナーではまず、学園発祥の地、周南市高水を訪問します。

以前は、米作りを中1の恒例行事としていて、田植えや稲刈りなどでこの地をよく訪れたものです。旧高水村のあった現周南市の烏帽子岳山麓、岩徳線の高水駅のほど近い所に学園の前身である旧制高水中学校はありました。

米作りは、この中学校を卒業された当地にお住いの先輩を頼って続けてきました。しかし、学園は今年、岩国転出(高水から岩国へ校舎を移したこと)65周年となり、最年少の先輩でも80歳をとうに超えてしまい、お世話をしていただけなくなりました。米作りを学校行事に取り入れた小中学校は数多いと思いますが、本校のような関係性の中で実施してきた学校は、たぶん他に例を見ないのではないでしょうか。そう言う意味で、たかちゅう(旧制高水中学校の当地での愛称です)と現付属中をつなぐ正に尊い行事でした。だから、これがなくなったことは、残念の一言では済まされないという気がしています。

それからかつては、亀山の旧校舎跡地で楽学碑を前に、旧制中学校時代の思い出を語ってくださっていた坂田先輩(94才)にも足を運んでいただいていました。今はそれも叶わなくなり、校長の私が、坂田先輩の言葉を思い出し、記憶があいまいなところは少し勉強して、新入生にかつての学校のことや生徒の様子などお話ししています。話しながら私は、3つのことに特に念を入れました。

まず、亀山の地で高水は5年制の旧制中学校として山口県下にその名を轟かせていたこと、そしてその伝統が戦後の6年制教育に引き継がれたこと。

2つ目は、かつて高水中学校は「たかちゅう」と呼びならわされ、地域の人たちに愛されていたこと。

そして3つ目は、李氏朝鮮時代に両班(やんばん)として地方を支配した人たちの子弟を受け入れ、戦後帰国した彼らは、たかちゅう教育を公正公平な教育として尊び、恩師の遺徳を偲び、教育者となって多くの方が大成したこと。