2018年度付中通信第3号 鄭さん

2018.5.15  高水高等学校付属中学校長 宮本 剛

5月9日から1泊2日で韓国の鄭さんに会ってきました。鄭さんは鄭忠錫と言って、昭和19年の旧制高水中学校時代の卒業生です。ということは、校長にとっても「たかちゅう」の皆さんにとっても大先輩というわけですね。                                            明治31年に設立された高水村塾は、2ないし3年制で大正9年まで続き、その後明治の学制改革の下で5年制の中学になります。その機に校舎を建て替えて、今あの楽学の碑の残る旧高水村の亀山の高台に移りました。そして大正14年に初めて本格的な旧制中学校の卒業生31名を送り出します。それから昭和26年まで、戦後の学制改革が施行されるまで、本校の旧制中学校は続きました。                                                                                                     韓国の鄭さんたちは、その旧制中学校時代に韓国から留学してきた生徒でした。戦前の昭和4年ごろから終戦を迎える20年まで、およそ16年間にわたって総勢375名の留学生が高水中学校で学んでいます。当時韓国は日本に併合され、日本語教育が進められていましたが、いわゆる尋常小学校6年間の義務教育の後の進学先はほとんどなかったのです。それで、李氏朝鮮時代の両班(ヤンバン)つまり士大夫階級の知識人の子弟たちで、比較的裕福かつ成績優秀な生徒たちが、進学先として日本に、そして高水に入学してきたわけです。当時、旧制中学校は山口県内に公立7校、私立2校の合せても9校しかありませんでした。

戦後71年経って、鄭さんもすでに93歳と高齢です。当時の高水の姿を語れる人は、韓国の鄭さんを含めて、もうほんのわずかな人たちです。私は今回鄭さんから多くのお話をうかがうことができました。「たかちゅう」とはどんな学校であったのか。鄭さんは教えてくれました。

「朝鮮戦争のあと、私たち卒業生の三分の一は教育界に身を捧げました。なぜだか分かりますか? 高水に入れば、そこは日本人もない韓国人もない、みんな平等に差別なく勉強させてもらえたからです。そんな教育が忘れられなかった。だから理事長さんを始め、私たちを育ててくれた先生方への感謝の気持ちを忘れたことは一度もありません。」